ひたすらむなしい気持ちになるSF小説「スローターハウス5(カート・ヴォネガット)」


どれだけ心に残っても、他人におすすめする気になれない物語がある。それは、読んでも楽しい気持ちになれない物語だ。胃の中に水銀でも流し込まれたかのように気持ちが落ち込む物語が時たまあるのだ。

私は、基本的に物語とはエンターテイメントであるべきだと思っている。わざわざお金と時間を払ってまで暗い気分になってもしようがない。いつだったか、ブロードウェイではバッドエンドは禁じ手なのだと聞いた記憶がある。それは大変優れたポリシーだと思う。

さて、本稿で紹介する「スローターハウス5」はそんな他人におすすめする気になれない物語のひとつだ。今朝、通勤電車の行きがけに読み終えたら一日暗い気持ちになってしまっていささかまいった。

だが、不思議と悪い気分ではない。このなんとも奇妙な心の動きを少しでも整理すべく、この書評に取りかかろうと思う。

スローターハウス5(カート・ヴォネガット)

本作は奇想を旨とするSF作品にもかかわらず、著者カート・ヴォネガットの半自伝的小説だ。著者が二次大戦中に兵役で体験したドレスデン爆撃を軸として構成されている。

恥ずかしながら、ドレスデン爆撃という歴史的事件を私は本作を読むまで知らなかった。余計なおせっかいかもしれないが、私と同様にこの事件を知らない読者もいるかもしれないのでドレスデン爆撃についての説明をWikipediaより引いておく。

ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。
4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。
「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」という一応の名目はあったが、実際は戦争の帰趨はほぼ決着しており戦略的に意味のない空襲であり、ドイツ空軍の空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こった。
引用元:ドレスデン爆撃(Wikipedia)

いわば、ヨーロッパ版の東京大空襲だ。何万もの非戦闘員が一夜にして灰塵となった。本書のあとがきによれば、死者数は3万5千から20万余といわれ、ドレスデン警察の提出した「控えめな推計」である13万5千が公式な数値とされているそうだ。

そしてこの爆撃を、連合軍側は1963年までひた隠しにしていた。

このように紹介をはじめると、本作が激烈な反戦思想を込めた物語のように思われるかもしれない。しかし、そうではない。この物語を一貫しているのは諦念である。前書きからわかるように、筆者は戦争……というより人によるあらゆる殺戮を否定している。にもかかわらず、本作からは徹底して激しい感情が排除され、ただ静かに諦念だけがにじみ出ているのだ。

本作の主人子ビリー・ピルグリムは痙攣的時間旅行者である。小説「タイム・リープ(高畑京一郎)」のように、精神だけが時間から遊離し、各時代の自身の肉体に宿るのだと、そう“自称”している。タイム・リープとは異なる点は、ビリーは前後に起こる自身の運命を知った上で、それを変えようとしないことだ。大河に運ばれる枯れ草のように、自らに降りかかる不運も、幸運もありのまま受け入れるのだ。

ビリーは宇宙人にさらわれている。1967年に空飛ぶ円盤によって地球から誘拐され、トラルファマドール星の動物園に収監されている。トラルファマドール星人は四次元的知覚を有しており、生命の一生を”同時”に見られるが故に、このように語るのだ。

人が死ぬとき、その人は死んだように見えるにすぎない、ということである。過去では、その人はまだ生きているのだから、葬儀の場で泣くのは愚かしいことだ。あらゆる瞬間は、過去、現在、未来を問わず常に存在してきたのだし、常に存在し続けるのである。

あるとき主人公がトラルファマドール星人に対し、好戦的な人類がこのまま発展をするとやがて宇宙を滅ぼしてしまうだろうと警告を発する。しかし、トラルファマドール星人はそれに対して失笑を返すのだ。彼らはその四次元的知覚を通じて宇宙の滅びをすでに知っているし、それを防ごうとする手立てが必ず失敗することも知っているというわけだった。

つまり、スローターハウス5の中で描かれる世界は、完全に決定論的宇宙なのである。これでは主人公ビリーが「時間」に抵抗を試みるはずもないし、仮に試みてもその挑戦は失敗に終わるだろう。

もう言うまでもないけれど、この「時間」が、戦争のような大きな歴史のうねりを暗喩しているのは間違いない。国家と呼ばれる人格を持たないわけのわからない巨大な力が奔流するときに、一個人がなせる抵抗など何もありはしないのだ。

なんという途方もない諦念か。ドレスデン爆撃という惨禍を、一兵士、それも捕虜という立場から体験した人間にはこれほど根深い諦めが宿ってしまうのかと背筋が寒くなった。これほど楽しさと縁遠い物語はない。

筆者自身が前書きでこう述べている。

つぎは楽しい小説を書こう。
これは失敗作である。そうなることは最初からわかっていたのだ。

本作の語り手であるビリーは周辺からは事故によって頭がおかしくなってしまった狂人としても描かれている。時間旅行も、トラルファマドール星のことも狂言だと思われているし、読者の視点からでもそのように読むことができる。

この構成は、運命に屈し潔く受け入れる人間が狂っているのか、運命に抗い見苦しく抵抗する人間が狂っているのか。そんな問いを著者が発しているように感じられてならない。

物語は焼け野原となったドレスデンで小鳥がさえずって終わる。

「プーティーウィッ?」

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