消費税増税でこの国がほんの少し貧しくなったことを実感した


4月1日から消費税が5%から8%に増税されました。

日本国民ならまず知っているこのニュースですが、事前に実感を持って迎えられた人は果たしてどれほどいたのでしょうか。住宅や自動車といった高価格で長期間使うものならばともかく、衣料品やアクセサリーなどの不要不急のものにまで駆け込み需要が発生するあたり、案外みんな「増税後の日常」にまで想像が及んでなかったのではないでしょうか。丁寧に家計簿をつけているような人でない限り、この増税で生活にどんな変化があるのか具体的にイメージはできなかったと思います。

かくいう私もそのひとりで、それどころか実際に増税を迎えても、自動販売機の缶ジュースを見て「なんで3%の増税なのに軒並み10円高くなっているんだよ」って疑問に思うことさえありませんでした。消費増税で不景気になるとかならないとか、理屈ではわかっても肌感覚はまるでともなっていなかったのです。

ところが今夜、消費税増税とはどういうことかすっかり実感させられてしまいました。

はじめは小さな違和感でした。昨日、行きつけの居酒屋で晩酌を楽しんでいたときのことです。イナダとホタルイカの刺身を平らげたあと、いつものようにツマのワカメを箸でつまもうとしたんですね。その居酒屋のワカメはコリコリと歯ごたえがおいしく、ひと通り腹が満ちたらそれを肴にちびちびとビールを飲むのが私の常でした。

そのワカメが、少ない。

はっきりとわかるほどに、少ない。

これはねえ、悲しいですよ。ワカメ、楽しみにしてたのに。いっそ店員さんにお願いをしてワカメを増やしてもらおうかとも思いましたけれど、それではケチくさいクレーマーかあるいは薄毛に悩んでいるようではありませんか。最近ようやくアルバイトの女の子が私の顔をおぼえてくれたのに、そんなことをしては「ワカメケチ」ないし「ワカメハゲ」、あるいは「ワカハゲ」というあだ名がつけられてしまうでしょう。台無しです。だいたい私はハゲてない。

そういえば、立派だったメニューブックもコピー紙をラミネートしただけのものになっていました。どうせまたすぐ10%に上がるし、カラー写真入りのメニューなんか作ったってもったいないと思ったのでしょう。それはものすごく正しいのだけれど。

思い返してみれば、その前に入ったラーメン屋も同じようにメニューが貧相になっていました。いや、メニューの内容は変わらないんですけれど、メニューを記した紙が。職場近くのカレー屋さんでは、値段は据え置きだけれど付け合わせのマカロニサラダ(ときどき春雨サラダ)がなくなっていました。

国家財政だとか、社会保障だとか、そういう大きな話に比べればなんてことはない出来事ではありますが、増税ってこういうことなのだなあとじんわり感じてしまいました。

現状を鑑みますに、長期的に考えれば、いま決まっている消費税増税だけにはとどまらず、ゆるゆるとさまざまな形で増税が続いていくのでしょう。そのたびに小鉢が一品減り、カレーには肉の代わりにチクワが入るようになり、やがては「これがアジアのスタンダードだ」と称してビールに氷が入れられるようになっていくのでしょう。度重なる増税で可処分所得がすっかりなくなり、自給自足を企てるようになるのでしょう。人々は空き地を使ってサツマイモを育てるようになり、床下でドブロクを醸造しはじめるのです。生温い微炭酸のドブロクを丼についで飲み交わしながら干し芋をかじっているのです。裏山でイノシシが捕れた、今夜はひさびさに肉が食えるぞとよろこび、焚き火を囲んで車座になって宴をするのです。

パチパチと、焚き木の薪が弾ける音がする。

「八っつぁん、八っつぁんよう」

焚き火に照らされているせいか、ドブロクの飲み過ぎなのか、すっかり赤い顔の八っつぁんに話しかける。おれの手には複雑な印刷がほどこされた長方形の紙が何十枚か束になってにぎられていた。

「なんでえ」

おれは八っつぁんの手元のこんがり炙られたイノシシ肉を見ながら言葉をつなぐ。

「そいつをよう、これで売っちゃあくれねえか」

札束を振りながら。

「馬鹿言うんじゃねえよ、そんなのはいらねえから、明日の刈り入れ手伝ってくれ」

そうだよなあ、そうだよなあ、とおれはもごもごつぶやいて、札束を焚き火に放り捨てた。

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