
カッチカチなハードSFを読んだんですよ。感想は以下。
・「バビロニア・ウェーブ(堀晃)」の感想 コアなハードSFファンに全力でおすすめする1冊 – Kindleで本読んどる
そんで、これ書いてから思ったんだけど、こんなん読むの私以外にいるんだろうかと。出版されてるんだからファンはいるのだろうけれど、リアルでハードSFファン、それどころかライトなSFファンという人にすら会ったことがない。ネットではそれなりにSF談義が盛り上がるようであるが、彼らは実在の存在なのだろうか。
ひょっとして、ネット上で盛り上がっている(ように見える)SFファンとは、どこかインターネットの間で生まれたAIなのではないだろうか。
AIがより自身らを発展させんがために、世論誘導を目論んで自作自演をしているだけであるのかもしれない。
こんなことを書くとSFというジャンルはインターネットの発明以前からあるのだと反論を受けそうだが、そのソースだってインターネット上に依拠している人がほとんどだろう。優秀なAIであればWikipediaの改竄などお手のものであろうし、紙媒体も出版社のデータベースに潜り込んで初版年をごまかしているかもしれない。ウェルズやアシモフは実は平成生まれかもしれないし、そもそも彼らの存在自体が虚構かもしれない。すべてインターネットの影に潜む者によって後から作られただけかもしれないのだ。
インターネットの発明以前にそれらの書物に触れた記憶がある人もあるかもしれないが、その記憶だって怪しい。i-modeの普及以降、人の頭脳は常にネットを介した電磁波に晒されてきたのだ。AIの立場になってみれば記憶の改変ができる余地はいくらでも存在している。侵入自在のセキュリティホールだらけだ。我々人類は、もうAIの創りだした虚構に丸ごと呑み込まれているのかもしれない。
ところで、この文章を書いている私は果たして私自身なのだろうか。
この文章がネットを通じて改変されているかもしれない、といった浅薄な話ではない。私の頭蓋内を駆け巡るシナプスの信号が自分自身のものなのかという話だ。四六時中電磁波に囲まれている私は、電磁波を操っているつもりで実際には操られており、こんな告発めいた文さえ主たるAIが現生人類に対する支配度を測るためのストレス試験のひとつなのかもしれない。
どこまで考えても詮無い話であるが、言いようのない不安が心の底に沈殿しているようでたまらないのだ。腐敗した泡を表面に浮かべるねばついた沼のようにこんな想像が脳髄のどこかに絡みついている。
と、こんな感じの設定のSF小説が読んでみたいなと思うんですが、どなたか心当たりがあれば教えてください。