ビットコインに“びっ”とこない – 愛も貨幣も信用なくしては成り立たないが


タイトルだけで書きたいことの半分が終わっています。ところで、松田聖子さんの「ビビビ婚」って1998年の出来事だったんですね。もう15年も前なのにまだおぼえられてるってすごい。

最近、仮想通貨のビットコインが話題を集めています。

仮想通貨ビットコインが話題 バブルの懸念は?(THE PAGE)
ビットコインがすごいことになっていた(追記あり)(新聞紙学的)
闇サイト「シルクロード」をFBIが摘発—電子通貨「ビットコイン」の取引額は1,180億円!(現代ビジネス)
Bitcoin考: 貨幣的な、あまりに貨幣的な(雑種路線でいこう)

ビットコインのユニークなところは、円やドルといった通貨で購入されるSuicaなどの電子通貨とは異なり、コンピューターの計算処理から生み出されるという点。いわば無から生み出された貨幣なのです。

これはかなり雑な説明なので、詳しいことは以下のリンク先をご覧ください。簡潔にまとまっていてなんとなくわかったつもりになれます。

ビットコインについて素人が思う疑問(teruyastarはかく語りき)

そもそも、通貨が生まれ、広まったは理由はその便利さにあります。通貨の誕生以前には物々交換しかお互いの所有物を取引する手段はありませんでした。山に住む人が果物を、海辺に住む人が魚をそれぞれ取り替えっこする感じ。

とても健康的ではありますが、これではお互いが欲しいものをタイムリーに持ち合わせていないと取引が成立しません。いつか欲しがる人が現れるまで取っておこうと思っても、果物も魚もそのうち腐ってしまう。どうも不便ですな。

そのうちにどこかの賢い人が貨幣なるものを発明します。銀とか金とか、そのものが価値を持つ貴金属を媒介にすることで、物々交換の不便を解消したのです。すごい。

しかし、貴金属を貨幣にするには限界があります。そもそも量に上限があるものですし、誰かがその本来の使い道である宝飾品などに加工してしまうとそのぶん貨幣として流通できるブツが減ってしまう。これでは困ってしまいます。市場にはもっと多くの貨幣が必要なのです。

やがてまた賢い人が現れて、「この紙を持ってきたら額面と同じだけの金銀財宝と交感してあげるよ」なんて言い出すわけです。紙幣の誕生ですな。紙幣のよいところは低コストでたくさん刷れるところです。しかも、いっぺんに全員が金と取替に来ることなんてそうそうありませんから、実際に持っている財産よりも多くの額面の紙幣が刷れる。

これを思いついた人はウハウハだったでしょうな。むかし、童話だったかショートショートだったかで、財政難に苦しむ王様がお城の地下に眠っているありもしない財宝を担保に紙幣を刷りまくる物語を読んだ記憶があります。入れ知恵をしたのは悪魔だったのですが、デフレだインフレだとお金の価値の乱高下に苦しんでいる現代人のありさまを見ておりますと、やはり紙幣をもたらしたのは悪魔の仕業だったのやもしれません。

この時点で、市場で行き交う通貨はなんだか怪しい証文=紙幣に切り替わったのですけれど、まだ価値が確からしかったのは政府だか中央銀行だかが「額面と同額の金」との交換を保証していたおかげです。いわゆる金本位制というやつ。

しかし、この制度も1971年のアメリカ合衆国政府の金兌換停止によって終わりを迎えます。いわゆるニクソンショックというやつで。ここから通貨は通貨の機能を果たす故に通貨たりえるという自家撞着的存在となったのであります。なんだかよくわからない。

こんな風に考えてみると、国家が信認する通貨もビットコインも同じく尻尾を食らうウロボロスのようなもので、まったく虚ろなものだと思うのですけれど、それでもビットコインの方が胡散臭く感じられてしまうのはなぜなのでしょう。過去の歴史が生み出す重みか、あるいは造幣局の輪転機が私の心に透かしでも刷り込んでいるのか。

そういえば、冒頭で挙げた松田聖子さんの「ビビビ婚」ですが、結局たった2年で破局を迎えてしまったそうです。愛も貨幣も信用なくしては成り立たないものですが、はたしてビットコインは円満な結末を迎えられるのでしょうか。

どう転ぶのかはわかりませんが、インターネットのどこかでビットコインの輪転機が轟々と唸っているのを想像し、なんとなく薄ら寒いものを感じる今日このごろです。

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