食品調理の不気味の谷をめぐる冒険。あるいは昆布だしとソイレントの洪水について


読むと損します。

こんな記事が話題になっていました。

知らぬは客ばかりなり 外食産業実はこんなふうに作ってます(現代ビジネス)

この記事を読んである日本の伝統食材の製法を思い出しました。どんな人でも一度や二度はクチにしたことがあると思うのですが、詳しい製法を知っている人は少ないように思うので以下に簡単に紹介してみます。

“最大で体長1メートルにも及ぶ回遊性の肉食魚がこの食品の原材料だ。暖かい海を好み、自分より小さく弱い魚類や頭足類を貪欲に捕食する。この紡錘形の魚類は興奮すると腹に幾筋かの横縞が浮かび上がり、死ぬとそれが消えて縦縞が現れるという不思議な特徴がある。尾鰭に比べ、他の鰭は極端に小さく、鱗は瞼のない眼球の後方から胸鰭・側線周辺だけにある。

この食品は多数の工程と時間をかけて作られる。まず、原材料となる肉食魚を解体し、頭部とはらわたを除いて、一酸化二水素を主成分とする溶液で煮込む。この際、温度が高過ぎるとぼろぼろと崩れるため加工者は最新の注意を払う必要がある。高熱の溶液に1時間余りも浸した後、いまにも原型も留めなくなりそうなほど脆くなった肉塊から皮を剥ぎ、無数の骨を抜き去る。この際、肉塊が傷つくことがあるが、すり潰した肉をパテ代わりに、欠損した箇所を埋めてしまうので多少なら問題にならない。

整形された肉塊は表面がタールにまみれて真っ黒になるまで雑木で燻される(このタールはその後の工程で削り落とされるが…)。こうして水分の抜けた肉塊を天日で干し、次に風通しの悪い部屋で黴で覆われるまで乾燥させる。この工程を肉塊からほぼ完全に水分が抜けて枯れ木のようになるまで繰り返すのだ。こうした複雑な工程を経たこの食品は人間の顎では到底刃が立たず、大工道具を使って薄く削りとって使用する。”

そう、鰹節ですね。

現代ビジネスの記事では現代の食品工場で使われる技術をいくらかおどろおどろしく紹介をしてみますが、食材をすりつぶしたり、調味液に漬け込んだり、腐らせたりカビさせたり、冷静に考えると案外気持ちの悪い作り方をしている料理は多いものです。余談ですが、私は小さいころ白和えが気持ち悪くて食べられませんでした。

ステーキみたいにシンプルな調理法もありますけれど、そもそも原材料となる牛が数百・数千世代をかけて人為的配合を繰り返してきた奇形的生物だと言えなくもないわけです。雄は有角で、雌は4つの巨大な乳房を持ち1日45kgもの母乳を垂れ流す。胃袋も4つあり、絶えず食らったものも吐き出しては咀嚼している、大人10人分の重量の巨大な畜獣とか、旧支配者の眷属だと思われてもしかたがないでしょう。ヘルシー食の代表のように言われる野菜だって、気の遠くなるほどの時間をかけて、人間様に合わせた奇形的進化を遂げてきたわけで、これはこれで深く考えると気持ちの悪いことかもしれません。

では、なるべく原始的な材料や調理法であるほど万民に受け入れられ安いのかといえばそうでもないでしょう。生きたイモムシやら、人が噛んで吐き出した穀物を元に作られたお酒だとか、やっぱり気持ち悪いと思う人が多数ではないでしょうか。少なくとも現代日本では。その日本で受け入れられている生魚食文化だって、世界的に見ればゲテモノの部類に入りそうな気がします。和食ブームとかいうけど、先進国の中流階級以上じゃないとちゃんとした寿司とか食べられなさそうだし(証拠なし・印象論)。

気持ちが悪いといえば、ホルモンとかちょっと前までゲテモノ扱いだった気がするんですよ。私が小学校高学年くらいのころにモツ鍋ブームがあって、それからだんだん焼肉屋などでホルモン系の扱いが増えていったような。モツ料理といえば「こてっちゃん」ですが、これの発売ってWikipediaによると1982年なんですね。私と同い年でびっくりしました。

びっくりしたといえば、生肉が食べられない人もけっこう多いですよね。牛たたきやらローストビーフは大丈夫でも、馬刺しとか鶏わさとかダメな人。その辺が食べられる人でも、鹿やらヤギやらダチョウやらはNGってこともある。わけがわからないよ。ちなみに、ヤギは筋張っておいしくなかったです。ダチョウはすごくあっさりしてておいしかった。

よくわからないんですが、食べ物に対する禁忌感情ってやっぱり後天的なものなんでしょうね。工業的な手法で作られた量産品に対する忌避感が広まる一方で、人が素手で握ったおにぎりやらおはぎやらを受け付けない人も同様に増えているように思えます。手捏ねハンバーグより、機械捏ねハンバーグを好む人もいるんではないでしょうか。

工業的手法で作られた食品といえば、お菓子なんか最たるものでしょう。ポテトチップスでもチョコレート菓子でもアイスクリームでも、最初から最後まで機械がガションガション轟音を響かせながら作っています。でも、脂肪注入したお肉やら混ぜ物をしたネギトロほどには嫌悪感を誘いません。こんなところでも「甘いモノは別腹」なのでしょうか。

それっぽい理屈をつけるなら、もともと駄菓子スイーツのたぐいには自然な状態が存在しないわけで、徹頭徹尾人工物であるからかまわんわけです。一方、なまじっか自然な姿を知っているお肉やらネギトロやらには「人々が期待する自然な姿」が存在しているので、その工程において人為が混ざると違和感を覚えるのやもしれません。このあたり、プラトンのイデア論あたりと絡めると面白い論考が書けるかもしれません。料理の本質とは何か?、それは愛である、愛である、あイデアる。みたいな。本当にすみません。

勢いだけで書きなぐってきたのでまともな結論はないんですけれど、いまって食文化の過渡期なのかなあと思ったり思わなかったり。自然食回帰派とか加工食推進派がイルミナティとか三百人委員会を背景に暗闘しているわけです。やがて自然食を司るアニミズムの神々と、加工食を司るロゴス神がハルマゲドンの角笛を吹き鳴らし、昆布だしとソイレントの洪水に見舞われた人類が存亡の機器に立たされる中、和洋中亜の食材と調理器具を一番ずつ抱えて方舟に乗り込んだノアが新世界の神になる的なノリで。

わけがわからないよ。

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3 thoughts on “食品調理の不気味の谷をめぐる冒険。あるいは昆布だしとソイレントの洪水について

  1. > 二酸化水素を主成分とする溶液
    一酸化二水素の間違いでは。あの化学物質は一分子あたり酸素原子1個ですよね。

    • わぁー!おっしゃるとおりです。
      あんな危険な物質の化学式を誤ってしまい、二次被害が起きていたら取り返しがつきません。
      さっそく修正いたします。。。

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