震災から3ヵ月後の石巻へボランティアに行って、「死」がたまらなく恐ろしくなった話


自分語りです。じつはすごく気が重くて筆が進まないのだけれど、何かしらアウトプットしないといつまでも整理がつかない気がするので、このブログがたくさんの人に見てもらえている、いま書く。コンテンツとして昇華する。

あと、タイトルに「震災ボランティアに行った」と書いたけど、実際にはボランティア活動はできませんでした。釣りっぽくてすみません。雨天のため素人の参加は危険だと石巻のボランティアセンターで断られたためです。

2011年6月24日、震災ボランティアに参加するために、震災から3ヵ月後の釜石へ行きました。たしかその頃には東京はかなり落ち着いていて、あんな大災害があったことなんて嘘のように日常を取り戻していたように思います。震災直後に見舞われた物不足や輪番停電も収まり、電車には会社や学校に通う人々があふれていました。

ボランティアに行ったきっかけは、会社の同僚の誘い。同僚の旧職時代の先輩の実家が仙台にあるそうで、その先輩が帰省をかねてボランティアによく行っているから、こんど一緒に行かないか、と。何のスキルもない素人ですが、瓦礫の片付けぐらいなら手伝えるだろうと承知しました。現地を知る人と同行するのは心強いですし。

旅程は一泊二日。現地で買うと迷惑をかけるかもしれないと、軍手や長靴、雨合羽などを一通り詰めたバックを背負って新幹線で仙台に。初日は先輩の実家に泊めてもらいました。仙台駅の周辺は人通りも多くて、補修のためにカバーで覆われたビルも多かったけれど、概ね順調に復興しているように見えて、「なんだ、思ったより元気じゃないか、東北は」と安堵したのを覚えています。

先輩の実家では、おかあさんが腕によりをかけたごちそうを頂戴し、震災当時の様子をおとうさんに聞きながら、酒に酔って眠りにつきました。先輩の実家は仙台の内陸側にあったためか、とくに目立った破損もなく、周辺もときどき古びたビルが立ち入り禁止になっているくらいで、ごく普通の街並みに車通り。食べ物も酒もこれだけあるし、安堵の気持ちはますます強くなっていました。

翌日。

早朝に起きて、小雨の降る中を先輩の車で釜石へ向かいました。石巻専修大学内に設置されたボランティアセンターの周りには各地から来たボランティアのテントが所狭しとひしめいていて、駐車場も週末ボランティアに来た車でいっぱい。受付所には行列ができていました。

ボランティアセンターに掲示されていた寄せ書きTシャツ。

ボランティアセンターに掲示されていた寄せ書きTシャツ。

小一時間ほど待っていると、ボランティアセンターのスタッフから雨天のため素人のボランティア参加は中止ですとアナウンス。そんなわけで、冒頭に書いたとおりボランティアは断念し、先輩の勧めでそのまま津波に襲われた石巻沿岸部へ行くことになりました。

そこに広がっていたのは文字通り筆舌に尽くしがたい光景。津波に襲われた町は半分更地のようになっていて、残ったため物も1階部分の壁が消失し、残された柱もゆがんでいる。片付けられた瓦礫がそこかしこにうずたかく積まれて、畑の中には唐突に潰れた自動車が刺さっている。そして車中にいても感じられる強烈な異臭。何かが混ざって腐った匂い。

「この光景を広めて欲しい」と先輩に言われ、無言で車中から写真を撮り続けました。

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なんといえばよいのか、そこにいるだけで自分の「生」が脅かされるような光景。そこらじゅうから「死」が立ち昇っていて、息をするのすら憚られる。被災後から3ヶ月、かなり片付けられていたはずなのに、それでも。あの日、津波に襲われた人たちの恐怖や絶望はどれだけのものだったのだろうと想像し、泣きそうになりました。

それ以来です、「死」がたまらなく恐ろしくなったのは。

といっても自分の死が怖いわけではありません。いや、死ぬのは怖いんですが、それは昔からで、なんというか「死」に対する感受性が完全に変わってしまいました。

たとえば、いまでもテレビなどで津波の映像は見られません。その背後にある無数の、一人ひとりの生きた人間の、絶望的で突然な死の光景を連想してしまうのです。それから、殺人事件の詳報などもとても見られません。被害者の苦痛や、悔しさや、無念を考えてしまい、たまらなく辛くなるためです。

トラウマ? タナトフォビア? ケガレの意識? そういうものともちょっと違う気がします。

フィクションの「死」はいまでもぜんぜん大丈夫なんです。相変わらずミステリは好きですし、スプラッタホラーも笑いながら見られる。民俗学や宗教における「死」の扱い方にも興味を維持してますし、ネットで戦史なども時々読みます。関係ないですけど、最近読んだのだと「やる夫が雪中の奇跡を起こすようです」 がすごく面白かった。

私の少ない語彙ではうまい表現が見当たらないのですが、「手触りのある死」というフレーズが思いつきました。親しい人を亡くしたときのような、生々しく感触の伝わってくる「死」。以前はその対象がごく狭い範囲でしかなかったのに、石巻の光景を見てからはそれがぐぐっと広げられてしまったようです。

何なんでしょうね、これ。シロクマ先生とかならうまく言語化できるんでしょうか。心療内科にかかる必要のある症状とは思わないんですが。

とはいえ、震災から2年というタイミングでネットでもテレビでも追悼的コンテンツなどが溢れるでしょう。しばらくは迂闊にメディアに触れられないなあと戦々恐々としております。いや、もちろん震災の記憶を風化させないことの重要性は承知していますので、そういうのをやめてくれとはいいません。むしろじゃんじゃんやるべき。

私みたいなのが貴重なリソースを奪うわけにはいかないので利用することはありませんが、震災で心の傷を負った人の心のケアを行っている団体がいくつかあるようなのでご紹介。自分や身近な方が深刻な症状に悩まれている方は利用されるとよいと思います。

東北地方太平洋沖地震と心のケア(日本心理臨床学会・支援活動委員会)
東日本大震災・こころのケア-震災の被災者やその家族、支援者、各地で不安な思いをしている方へ-(こころの耳)
一般社団法人 震災こころのケア・ネットワークみやぎ(からころステーション)

書いててすげえ胸が苦しい。読み返すと気持ちが沈むので推敲が不十分かと思います。申し訳ありません。

以上、チラシの裏でした。

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