通貨戦争(短編小説)


走行距離数十万キロにもなるピックアップトラックのハンドルを握って、マイクは上機嫌でハイウェイを走っていた。

行く先はラスベガスだ。

先週ビンゴ大会で当てたサムスンの液晶テレビをネットオークションのイーベイで売りさばいて手に入れた300ドルが今回のタネ銭である。ついているときはとことん勝負するに限る、それがマイクのギャンブル哲学だった。

(この300ドルが何千ドルに化けるだろうな。まずはこのおんぼろトラックをスポーツカーに買い換えて、それから……)

まだ手にしてもいない勝ち金の使い道を考えてマイクはにやにやと笑みを浮かべた。アクセルを強く踏み込む。加速するにつれて、足回りからゴンゴンと異音が響きだした。

(ええい、このおんぼろめ!)

異音をかき消すためにラジオのボリュームを上げる。流れているのはラテンのスタンダード・ナンバー《ラ・クンパルシータ》だった。リズムに合わせて身体を揺らす。

しばらくして、音楽が突然中断した。

また故障しやがったと舌打ちし、フロントパネルを叩こうと拳を振り上げたとき、アナウンサーの声が入った。

『臨時ニュースを申し上げます。ただいま当CBSネットワークに速報が入りました。中央標準時8時20分前、ニュージャージー州プリンストン大学のポール・クルーグマン教授は、日本で白熱光を伴う定期的な爆発を観測しました。光は現在、非常な速度で世界中に拡散しており、合衆国にも向かっています。この件に関しましては続報が入り次第、みなさまにお伝えします。それまでラモン・ラケーロの音楽をお楽しみ下さい』

つまらないニュースだ。太平洋の向こうで何かが爆発したっておれには関係ない。音楽が中断されたせいでまたトラックの異音が気になりだした。マイクはさらにラジオのボリュームを上げた。

しかし、またしても音楽は中断された。

『再び臨時ニュースを申し上げます。ただいまニューヨーク市からあった発表によりますと、今日午後8時50分に、隕石と思われる巨大な炎に包まれた物体がマンハッタンのセントラルパークに落下しました。CBSネットワークでは事件の重大さを考慮し、現場の状況を中継でお伝えすることにしました。中継車が現場に到着するまでの間、ラモン・ラケーロの音楽をお楽しみ下さい』

なんなんだまったく、これからひと勝負しようってのに、変なケチをつけるんじゃねえ。マイクはさらに苛立ちを募らせ、気分を変えようと背筋を伸ばしてサンルーフから空を見上げた。夜空からひらひらと何かが舞い降りてくる。

(なんだありゃ?)

首をかしげたところでまた音楽が中断した。中継車が現場に着いたようだ。

『み、みなさん、いま私の前に巨大なクレーターがあります。その中心には奇妙な物体が埋もれています。凄まじい勢いで地面に激突したのでしょう。付近一帯は落下の途中でぶつかったと思われる木々の破片でいっぱいです』

『問題の物体は、あまり隕石らしくありません。少なくとも私がこれまでに見た隕石には似ていません。それはレンガを積み上げたような形をしています。直径は30ヤードはあるかと思われます』

背後には群集のざわめきと警官の制する声。そして、これらに混ざってパチパチと何かが焼ける音が聞こえてくる。

――ポスッ。

軽い音が聞こえた。ラジオからではない、上からだ。

マイクはもう一度サンルーフを見上げた。帯止めでまとめられた長方形の紙切れがサンルーフの端に引っかかっている。一見してドル紙幣に似ているが、デザインがまるで違う。ドルならば中央にベンジャミン・フランクリンの肖像があるはずだが、これには右端に彫りの浅い東洋人の肖像がある。

――ポスッ、ポスッ、ポスッ。

軽い音。あちこちからだ。見ればフロントガラスに同じ紙切れが貼りついている。どこかで見た記憶のある図柄だ、マイクは記憶を辿った。そうだ、あのときだ。去年か一昨年だったか、従兄弟のケニーに日本旅行の記念だといって見せびらかされたのだ。

そう、これは日本の紙幣だ。しかも、1万円札とかいう100ドル紙幣とほぼ同じ価値があるものに違いない。

『あっ、みなさん、大変なことが起りました。たったいま、物体が崩れようとしています。頂上部がまるで生き物のように膨らんで……いえ、崩れているのではありません。物体が膨張しはじめています』。

ラジオの向こうでは群集のざわめきが広がっている。しかし、マイクの耳にそれはもう入っていない。マイクは慌ててトラックを止め、降ってわいた幸運――まさに天から降ってきた――を、その手に掴み取るのに忙しかったのだ。

異国の札束を握り締めてマイクは歓喜した。こんなトラブルなら大歓迎だ。ガラにもなく神への感謝を心の中でつぶやき、また幸運が降ってこないものかと天を仰いだ。

星の明かりに混じって灰色の札束がひらりひらりと舞っている。まるで雪のようだ。灰色の点は見る間に数を増していき、やがて夜空を埋め尽くしていく。

――ポスッ、ポスッ、ポスッ、ポスポスポスポスポスザザザザザザザザザ……

札束が土砂降りの雨のようにマイクの身体を叩きつけた。圧力でまともに立っていられない。あまりのことに恐怖を覚え、慌てて車の中に避難する。

(何なんだ、これは!)

叫び出しそうになるマイクの耳にラジオの声が聞こえた。

『大変です。みなさん、大変です。物体は増殖しています。すごい勢いでカサを増しています。まるで津波のように、ああ、警官が飲み込まれました。こちらにも、すごい勢いで。ダメだ!逃げろ!急げ急げいそ……(くぐもった音)……おお、神よ……」

沈黙。ざらざらとした雑音しかラジオからは聞こえてこない。一方で、車の外から聞こえる落下音は止む気配がない。ボンネット、天井、荷台、周囲のすべてから蝉時雨のように騒音が響く。

ラジオの雑音が止んだ。スタジオに戻ってアナウンスが再開される。

『みなさん、ニューヨーク市から発表がありました。それによりますと、6人の州兵を含む40人が消息不明になりました。消息不明というのは、物体に飲み込まれて安否の確認ができないからで。ええ、はい。ただいま、政府から緊急発表がありました。まったく信じられないことですが、今夜、マンハッタンに着陸した物体は、に、日本円であることが判明しました。しかも、なお驚くべきことに、合衆国、いや、世界各地で同様の現象が発生しているとのことです』

この短いアナウンスの間にもトラックを埋め尽くす勢いで札束が降り積もっていく。マイクの脳裏を、札束に飲み込まれたセントラルパークの野次馬たちの運命がよぎる。マイクは全力でアクセルを踏み込んだ。ずるずるとタイヤが空転する。地面との間に札束が入り込んで滑っているのだ。何度も、何度もペダルが床に着くまで踏み込んで、ようやくのろのろと走り出した。ぐらりぐらりと揺れて安定しないのは、道路に積もった札束がクッションになっているせいだろう。

『このスタジオの周辺でも日本円の降雪が……ふさわしくない表現かもしれませんが、他にたとえようがありません。日本円の降雪が確認されました。あっ、速報です。偵察衛星からの観測によると、ジンバブエが日本円に埋め尽くされました。タイ、韓国も国土の半分以上が円に埋め尽くされているとのことです』

必死でアクセルペダルを踏みつけながら、マイクはスマートフォンを取り出した。ラジオだけでは状況がわからない。こんな騒ぎになっているのなら、ネットにもっと詳しい状況が書かれているはずだ。ボタンを押して画面ロックを解除する。

「うわっ」

マイクは思わずスマートフォンを手放した。ホーム画面が見慣れないコインの画像で埋め尽くされていたからだ。金色に輝く正円。マイクは知らなかったが、それは日本のネットゲームで使われる仮想通貨だった。このときすでに、インターネットは日本の仮想通貨で埋め尽くされて機能停止していたのだ。

一刻も早く人のいるところに着きたい。こんな荒野を突っ切るハイウェイのど真ん中で札束に埋められて孤独に死ぬなんてまっぴらだ。

そんな願いが通じるわけもなく、相変わらずトラックはのろのろとしか進まない。だが、やがて遠くに光が見えてきた。きらきらとまばゆい光。ラスベガスのネオンに違いない。人の営みを感じられる光が見えてマイクは少しだけ安堵した。

『タイ、韓国、インド、ベトナム、その他東南アジア諸国も日本円に埋め尽くされました。中国も北半分がすでに日本円に覆われています。朝鮮半島の北部は降り積もった日本円の重みで海中に没したようです』

フロントガラスのはるか向こうにきらめく光が徐々に近づいてくる。心なしか、こちらが進む以上の速度で光が迫ってきている気がする。いや、気のせいじゃない、光の波がこちらに向かって押し寄せてくる。嫌な予感がして、引き返そうとマイクはハンドルを思い切り回した。だが、そのせいでタイヤが札束の間に埋もれてしまったようで、トラックは完全に動きを止めた。

『札束の他にも各国を襲っているものがあるようです。金属製の小さな球で、あ、ただいまサンプルが手元に届きました。指先にも満たない小さな球です。これは日本のギャンブルで使われるチップのようなもので、パチンコ玉と呼ばれるものです』

ラスベガスからやってきた金属の小球でできた津波がマイクのトラックを飲み込み、あっという間にぺしゃんこにした。

(了)

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