知識は滅多に役に立たない


子どものころは「ものしり博士」になりたかった。

誰かに何かを尋ねられると、「これは○○なんだよ」「すっごーい!」というアレです。

物覚えがついたころから、他人が知っていることを自分が知らないのが耐えられないタチでした。

とにかく知らないことが嫌で、また新しいことを知るのが楽しく、絵本や怪獣辞典のような子どもらしいものはもちろん、漢字もまともに読めないくせに新聞やら週刊誌やらを端から眺めていたり。(知らない言葉を親に尋ねることすら嫌がっていたため、読みも意味もまるで勘違いしておぼえていて「おれ言語」をたくさん発明していた)

なぜそんなわけのわからんガキになってしまったのか、いま振り返って思うには、男三人兄弟の末っ子に生まれて、腕力で絶対に勝てない兄貴どもを打ち負かすためには知恵で勝るしかないとその戦略を選んだのだろうと思います。

その知識欲が特定分野に集中していれば今頃ノーベル賞でももらっていたのだけれど、どうにも飽きっぽい性格が災いして、あれこれの知識を広く浅くつまみ食いするという非生産的な迷走をしてしまいました。おかげさまでいまでは、ネッシーからドラッカーまで字面しか似ていない幅広い知識を膨大に貯め込んだよくわからない人に。

そんな雑学人間が心底痛感するのは「知識は滅多に役に立たない」ということ。

ある知識を持っていても、それが役立つ場面は1000にひとつあればいい方です。

まあ、知識ってそういう性質のものなんですけどね。

知識って「Aという設問に対するBという答え」が基本構造なので、空振りしまくって当然です。

だから、知識だけを貯め込んでも意味がない……なんてことを言うつもりはまったくないわけですが。

0.1%しか役立たない知識なら、10000個そろえればどんな場面にだって対応できるのですよ。

知識が役に立たないという人は、たぶんただの不勉強です。

乏しい知識しか持っていないから、知識が役に立つ実感を得たことがなく、有益だった試しがないとdisってるんだと思います。

「世の中は受験勉強みたいに答えの決まった問題ばかりじゃない。知識なんか役に立つことの方が少ない」とおっしゃる向きもあるでしょう。

然り。そのとおり。だから私も最初からそういってるじゃないですか。

だいたい知識なんてものは確率論的に役に立てばよいのだから、世の中の問題の30%しか知識で答えられないとしても、その正答率を上げるのは有益でしかないのですよ。知識がなければ残り70%の正答率が上がるのなら話は別だけれど、そんなことを主張する人はさすがにいないでしょう?

それに、知識を軽く扱う人が重視するスキルって、「生きる力」だの「考える力」だの「コミュニケーション力」ってやつで、それぞれ「サバイバル術」「思考術」「処世術」って知識にすぎないんですよね。(よく本屋に並んでますね、そういうの。本を読むと身につく知識のようです)

そもそも知識というのは机上の学問だけを指すわけじゃなく、魚のさばき方だとか、ボールを遠くに投げるための体の使い方だとか、そういうのも全部含んだ概念なんです。

また、よく「発想力」が大事だという人もいるわけですけれども、故星新一先生がおっしゃったとおり、アイデアとは既存の知識の組み合わせであって、その背景には膨大な知識の存在があるわけです。アイデアは何もない空間にぽっとわき出るものじゃ決してありません。狼に育てられた少年が、ある日突然核融合炉を発明することなんてありえないでしょう。

そんなところでタイトルを補完しますと、

「知識は滅多に役に立たない。だからこそ多くを身につける意味がある」

ということが言いたかった次第。

こういう意味の名言をどこかで読んだ記憶があるのだけれど、出典がまるで思い出せません。誰か心当たりのある方は教えてください。

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