批判には責任をともなう


以前から事あるごとに考えているテーマなんですが、批判っていうのは実にむずかしい。

批判にも複数の意味があるので、まずこの記事での意味をはっきりさせておきますと以下のとおり。

人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の―を受ける」「政府を―する」
引用元:YAHOO!辞書(大辞泉)

リアルで面と向かって相手を批判するときならたいがいの人は慎重になると思います。反撃にあう可能性がありますからね。ところが、Webになると批判のハードルがぐっと下がってしまうようで。昨日書いたGunosy炎上の件とか、実際目の前にGunosyの運営陣がいたらどれだけの人が同じ言葉を投げかけられたでしょうか。

今日も気になることがふたつほど。

ひとつめは、「あるひき逃げ犯の個人情報を特定した!」と騒いでいるもの。Twitterから火がついて、便乗した2chまとめサイトにも取り上げられていました。もし間違っていたら取り返しのつかない中傷になるのでリンクはしません。

ふたつめは、私も口コミサイトの運営に携わっているので他人ごととは思えない食べログさんでのトラブルです。こちらは以下にリンクを張ります。

「食べログ削除して」と提訴 札幌の店経営者(47NEWS)

「料理が出てくるのが遅い」「おいしくない」といった事実とは異なる口コミを投稿されたために売上が下がったと損害賠償を訴えたというもの。時間感覚や味覚は人それぞれなので、形容詞をとらまえて訴えるのはむずかしいと思いますから、実際にはもっとひどいことが書かれていたんじゃないかなあと想像します。

どうなんすかね、これ。

まず、前者の例でいえば、発端となったと思われるツイートのRTは1000を超えていました。これを拡散した人は、果たしてどれほどの覚悟を持っていたのか。スマイリーキクチ事件や、大津市いじめ自殺で起こった人違いの影響を思えば、そう軽々しくRTなどできないと思うのですが。

また、後者では自分の書き込みが同じ人間が経営している店舗にどれだけの損害を与えうるか想像をしていたのか。もし店がつぶれていたりしたら、その家族や従業員は路頭に迷っていたかもしれません。そして、今回は管理者である食べログが訴えられたわけですが、投稿者である自分が訴えられるリスクも当然あるわけです。そういう想像はめぐらしていたのか。

とはいえ、常に100%の確証を持って何かを述べるなんてできません。私だって、常に正しいことをいっているはずもなく、むしろ間違いを含んでいることのほうが多いと思うんです。

人間は誰しも間違うものですし、本当に絶対だと言い切れることなんて世の中にはほとんどありません。シュレディンガーの猫が生死を重ねた状態でゆらいでいるように、真偽が確定しない、あるいは確定できないことなんて山ほどあるわけですね。まあ、シュレディンガーの猫はそういうことを主張する量子力学のおかしさを揶揄した思考実験らしいので例えとして適切ではない気もするのですがそれはそれとして。

そうなるともう間違いをいわないためには黙っているしかないわけで。沈黙は金なりとはよくいったものです。でも、そういうわけにはいかないじゃないですが。みんな主張を飲み込んでいたら世の中は停滞してしまいます。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ。

そんなわけで、間違いを含んでいるかもしれない批判をするときに求められるのは、詰まるところ責任を負う覚悟だと思うんです。

間違いがわかったのなら訂正し、謝罪する。場合によっては保障する。反撃にあって笑い者にされることを覚悟し、受容する。それがインターネットというおおやけの場で批判をするときのモラルだと私は考えます。

そんな覚悟のない批判は、批判でもなんでもなくただの放言・暴言だと思うのですがいかがでしょうか。

follow us in feedly

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です