冤罪の脚本(短編小説)


古びたマンションの一室。電灯は点けられておらず、テレビの明かりだけがほの暗く部屋を照らしている。

初老の男がひとり、ワンカップの安酒を片手にじっとテレビをにらみつけていた。

男が見ているのはテレビショーだった。

「あの事件から3年。冤罪を考える。」

そんなテロップが画面の端に出ている。

男性司会者とアシスタントの若い女性。カメラが横に振られて二人の男が映し出される。

女性アシスタントが華やいだ声で紹介する。

「本日のゲスト、一人目は、秋の衆院選に初出馬で見事当選し、法務大臣として入閣され、警察組織の改革に日夜奔走されている衆院議員の塩田先生です!」

白髪の老人が人のよさそうな照れ笑いで応えた。

「そして二人目は、3年前の冤罪事件の被害者であり、いまでは脚本家兼個性派俳優として活躍されている諸川洋介さんです!」

観客席からわっと黄色い歓声が上がる。テレビ画面越しにそれを見つめる男の手にぎゅっと力がこもる。

呆れたものだ、あのじじいも、視聴者も、いまだに諸川の仮面に騙されている。

男は鳥海といった。昨年までは鳥海刑事と呼ばれ、昔ながらの強面として恐れられていたものだ。そして、3年前の冤罪事件で諸川の取調べを担当していたのが、他ならぬ鳥海だったのである。

テレビの向こうでは塩田と諸川が女性アシスタントのたわいないやり取りをしている。それがひと段落すると、アシスタントの後を引き取ってカメラは男性司会者に切り替わる。

「今日で諸川さんが逮捕されたあの日からちょうど丸3年。事件の記憶を風化させないために、本日はお二人を招いての検証番組を生放送でお送りします。まず、俗に言う諸川事件とはどのようにして起こったのか、振り返ってまいりましょう」

画面暗転。売れない役者を使った再現VTRがはじまる。

鳥海の目は相変わらずテレビの方を向いたままだったが、脳裏にはまったく別の光景が思い出されていた。

* * *

「いい加減に本当のことを言ったらどうなんだ!」

取調室。鳥海は机を激しく叩いて目の前の若者を威圧する。

黒縁のメガネ、ガリガリに痩せた青白い身体、猫背を丸めてじっとしている姿は絵に描いたように気弱なオタクそのものだった。誰かがこの光景を見ていたならば、縮み上がった若者がすぐにでも許しを請いはじめると予想しただろう。

ただし、その眼を見なければ。

若者は鳥海がいくら脅しつけても怯えるどころか身じろぎひとつしない。口元には笑みさえ浮かべ、薄い目をじっと向けてくる。線を引いたような目には光がまるで見えず、まるで墨でも流し込んだようだ。その視線を浴びているとこちらまで黒く汚されるような気さえした。

気味の悪い男だ。

そして鳥海は、こいつこそが、諸川こそが一連の事件の真犯人だと確信したのだった。

諸川には「電子計算機損壊等業務妨害罪」をはじめ、複数の容疑がかけられている。ばら撒いたコンピューターウイルスを使ってあちこちのネット掲示板やブログに殺害予告を書き散らし、またサイバー攻撃で自治体や政府の出向機関を含むいくつかのWebサイトやシステムをダウンさせた。

これだけならよくある話かもしれない。だが、この事件の犯人が巧妙だったのは、ウイルスの感染者をあたかも加害者のように偽装した点だ。ウイルスは感染したPCが操作されているときだけバックグラウンドで活動する。PCの持ち主がネットサーフィンやソーシャルメディアに「いいね!」を押すのに夢中になっている間に、こっそりと嫌がらせの書き込みやサイバー攻撃をネットに撒き散らかすのだ。

警察のサイバー捜査はまず発信元のPCを突き止めるところからはじまる。発信元がわかったら、次は持ち主のアリバイだ。そして、このウイルスは持ち主がまさにPCを操作している最中に活動する。

警察は見事にだまされてしまった。

このウイルスに感染していると気がつかず、警察は4人を逮捕し、1人目が起訴後執行猶予判決。2人目と3人目が起訴猶予処分となった。そして4人目の公判中にそれは起こった。

ウイルスの製作者と名乗る何者かが、警察の誤認逮捕をあざ笑う声明文をマスコミに送りつけたのだ。

当然ながら、3人の『犯罪者』と1人の『被告人』は、一斉にわが身の無実を訴えた。取調室で起こったことを赤裸々に暴露し、あらゆる手段で自白を強要されたと警察の強引な捜査手法を非難した。

警察にとっては悪夢だった。釈明のしようもなく、ひたすら謝罪会見に追われた。汚名を雪ぐ唯一残された手段は、真犯人の逮捕しかなかった。

声明文に同封されていた写真にあった新聞がとある地方紙だったことから、まずは人海戦術でその地方一帯に大規模なローラー作戦を展開した。

「このあたりにコンピューターに詳しい反社会的な人物はいませんか?」

大勢の警察官が一軒一軒しらみつぶしにそんな馬鹿げた質問を繰り返すのだ。もちろん、これで直接犯人がわかるだなんて夢にも思ってはいない。だが、こうして揺さぶりをかけることで犯人がしっぽを出すことに期待したのだ。

案の定、そんな前時代的なやり方で何がわかるものかと批判され、ワイドショーでもさんざんネタにされた。

聞き込みの結果は予想通り芳しくない。収穫のない日々が続く。そんなときに真犯人と名乗る者からの二通目の犯行声明がマスコミに送信された。

――しめた。

捜査関係者は誰もがそう思った。無能な警察ではどんなヒントを出しても自分にはたどり着けない、そういう驕りが犯人に生まれたと思ったのだ。

くだらないクイズ仕立ての犯行声明が何通も続く。ウイルスのコードを記録したUSBメモリをどこそこに埋めた。この暗号を解くと自分のイニシャルがわかる……などなど、よくも思いついたものだ。そのたびに警察官を大量動員して関係のありそうな地域を大規模に捜索する。声明の一部はネットメディアにも公開を条件に送信されていたらしい。まるで進展が見られない警察の捜査を笑いつつ、「賢い」インターネットの住民たちは犯人の出すクイズに嬉々として興じていた。

権力がコケにされるのは、大衆にとっていつの時代も最高の娯楽だ。義賊に快哉するように、いつの間にか犯人は大衆のヒーローになっていた。

ふざけるな。

鳥海だけではない。捜査関係者は誰もがそう思っていた。

確かに誤認逮捕をし、潔白な人間に自白を強要して犯罪者にしてしまった警察にも非はある。だが、そもそもそんなことになった原因はその犯人にあるのだ。

そんな思いを胸に秘めながら、警察はトリッキーな犯人に振り回される道化を演じつつ、その裏で地道に物理的な証拠を積み上げていった。

メモリを埋めたという山に出かけた者、野良猫の首輪に仕込んだ記録媒体を買ったネット通販の利用者、犯人が時折送ってくる画像に写ったフィギアの販売店の常連客、防犯カメラに映った膨大な映像。捜査員たちが足で稼いだわずかなヒント――だがそれは、ヴァーチャルではなくリアルなヒントだ――を地道につなぎ合わせていった結果、捜査線上に浮かび上がったのが諸川だったのだ。

決定的な証拠はまだない。だが、これ以上の嘲笑に耐えるだけの忍耐も残されていなかった。状況証拠はすべて諸川が真犯人だと告げている。これ以上周辺を調べても有力な証拠は出てこないだろう。逮捕をし、家宅捜索をすればきっと何かが出てくるに違いない。

そう確信して、逮捕に踏み切ったのだ。

ところが、自宅や職場はもちろん、少し立ち寄っただけのインターネット喫茶や電気店のPCまで調べ上げても何も出てこない。

こうなると、マスコミも「またしても誤認逮捕か」とざわつきはじめる。ネットでは冤罪と決めつけるような発言も目立って増えていった。

――ウイルスはどこのPCで作られ、送信されたのか。それさえわかれば決定的な証拠になるのに。

拘留期限は刻一刻と迫っている。現場を駆け回っていた捜査員たちも、もう調べる先の当てもない。そうなればおのずと自供への期待が高まる。取調べを担当していた鳥海にかかるプレッシャーは相当なものだったのだ。

諸川には前科があった。

5年ほど前、諸川がまだ17歳だったころ、ある玩具メーカーを脅迫する内容をネット掲示板に書き込んだとして逮捕されたのだ。

諸川がかなり手ごわいと見た鳥海は、当時取り調べを担当した刑事にも話を聞いた。何か自供を引き出す手がかりがあればと考えたのだ。だが、そのときは少し脅しつけただけで半ベソをかきながら自白をしたらしく、いくらまだ10代の子どもとはいえ根性のないやつだと呆れるほどだったそうだ。

そのおかげで、改悛の情ありと見られて厳しい処分は見送られた。もっとも、学校は退学になったらしいが。

それがどうだ。目の前に座っているのが5年前に半ベソをかいていた子どもと同一人物だなどと誰が信じるのか。

どんなに激しく詰問してもまるで動じる様子がない。決まったスケジュールをこなすように、役者が台本通りに芝居を演じるように、淡々と振舞っている。

技術のことは鳥海にはわからない。だが、ほんの数年前に稚拙ないたずら書きで捕まった人間が、警察を何度も欺き鼻面を引き回すような犯罪を企てられるものなのか。

「5年前と、まるで変わらないんですね」

ほとんどしゃべらなかった諸川がぽつりとつぶやいた。

(まさか、警察に復讐するためだけにこの事件を起こしたのか)

5年前の逮捕を逆恨みした結果が今回の事件なのだろうか。暗い恨みを燃やし続ける日々が諸川の精神を変容させたのかと思うと、鳥海は背筋に冷たいものを感じずにいられなかった。

結局自供は引き出せず、拘留期限ぎりぎりに起訴をした。決定的な証拠こそなかったが、状況証拠は揃っている。検察も8割方勝てると思っていたのではないだろうか。

だが、負けた。

ひとつの理由は人権派の大物である塩田弁護士が諸川の弁護に名乗りを上げたことだ。諸川の無罪を確信しているといい、ほとんど無償で強力な弁護団を結成したのだ。マスコミを扇動して世論を誘導し、数万人もの署名までかき集めた。

そしてもうひとつの理由は――鳥海はこちらの方が決定的だったと考えている――公判で見せた諸川の態度だ。そこには取調室で見せていた冷徹な姿はどこにもなく、怯え、うろたえ、同情を誘う哀れな男がいるだけだった。それはかつて諸川が見せたという、少し脅しつけただけで半ベソをかいて許しを乞う少年の姿だった。

極めて高い知性を感じさせる犯行からはまるで連想できない無様な姿に、マスコミも徐々に冤罪説に傾いていった。警察関係者でさえ、取調室の諸川の様子を知らないものは冤罪の疑念を深めていったほどだ。

裁判は1年とかからず無罪判決で結審した。もはや勝ち目がないとみた検察は控訴を諦め、あまつさえ自白偏重の警察捜査への非難めいたコメントまで残すありさまだった。

結局、その後は『真犯人』からの新たな声明もなく、一連の事件は迷宮入り。警察の遅れた捜査手法がみすみす真犯人を逃したのだと、捜査関係者は徹底的なバッシングを受けた。

結審からほどなくして、諸川は公判中に綴っていたという警察の非道を糾弾する手記でベストセラー作家となった。その中ではかつて自分が逮捕され、有罪とされた事件も警察の捏造だったと主張しているらしい。手記を元にし、本人が脚本を手がけた映画も大ヒットを飛ばし、一躍時の人となった。公判で見せた演技力も遺憾なく発揮して、いまでは脚本家兼俳優として人気を博している。

この裁判で脚光を浴びた塩田弁護士は、警察機構の抜本的な改革なくしては冤罪は撲滅できないと政治活動に熱中し、ついに昨年の衆院選で当選を果たした。しかも、新内閣の目玉として法務大臣に据えられるそうだ。

あの事件をきっかけに、警察捜査に改革を求める声が高まり、かつてのような取調べはもうできなくなった。取調べの様子はすべて録画され、手続きに則った請求がされれば公開しなければならない。客観的に見ればそれはよい変化なのかもしれなかったが、鳥海のような古いやり方しか知らない刑事はついていけなかった。

塩田が当選すれば法務大臣のポストが確実と言われた昨年の秋に、鳥海は辞表を出した。塩田が法務大臣となったいまでは、きっとますます『クリーンな』捜査が行われているんだろう。

おい、水をくれ……といいかけた言葉を飲み込む。妻はもう何ヶ月も前に出ていったじゃないか。

諸川の復讐は見事に成就したのだ。結局警察は、諸川の脚本どおりに書き換えられてしまった。

番組はいつの間にか終わっていたようだ。名前も知らない若手芸人がげらげらと笑っている。

鳥海は残り少なくなったワンカップの酒を一息で煽り、ため息をついてごろんと横になった。すぐにぐおお、ぐおおと不健康ないびきが聞こえだした。

* * *

番組の放送後、テレビ局の控え室で塩田と諸川が二人きりで話している。

塩田が諸川にぞんざいな調子で言った。

「おう、今日もちゃんとおれの脚本通りにできたじゃないか」

(了)

follow us in feedly

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です