世界を旅しなくても人生観はどんどん変わるし、コツコツ変えていくものなんじゃないかな


こんな記事を読みました。

世界を旅をすると、やっぱり、人生観は変わる(Maptiaの挑戦を見よ!)(ICHIROYAのブログ)

私は海外旅行の経験がほとんどないので、こういう記事を読むとまず反発心がわいてきちゃいます。というのも、「何週間も休みを取って海外に行く」って恵まれた環境の人しかできないよなあと思うからで。私が学生の頃は家業の手伝いがあったので何週間も実家を離れるなんて到底できなかったし、就職してからはほとんど有給を使うこともなく働いてきました。

そんな私からしますと、この手の記事では言外に「世界を旅したことがないやつの人生観は未熟だ」と主張されているような感じが致しまして、たいへん心がざわめくわけであります。海外旅行に行く時間や費用が捻出できない人間は、海外を旅した人間よりも低級なんでしょうか。おそるべし、海外旅行ヒエラルキー。所得格差問題はここにも存在した。

ま、妬み嫉みの類ではあるわけですが。私だって海外を長期旅行してみたかったですよと。サマージャンボが当たったら、セミリタイアしてトンガの海辺で余生を過ごしたいと思います。

ところで「人生観」って一体何なんでしょうか。「人生観が変わった」と口にする人は多いですが、具体的に何がどう変わったのかと尋ねると「一日一日を大切に生きるようになりました」とか、「友だちとの絆をもっと深めて~」とか、「社会貢献で~」とか、ほとんどの場合、そういう茫洋とした答えしか得られた記憶がありません。

まれに確固たる答えを返してくる人はおりますけれど、そういう人はその想いを何かしら具体的な行動に移しておりまして、殊更にその体験をアピールすることは少ないように感じます。

じゃあ、私に人生観が変わった体験はないかと聞かれれば、矛盾するようですが「なんとなく、ある気がする」と答えるわけですね。

親父が死んだときとか、新規事業の立ち上げを任されたときだとか、それを潰してしまったときだとか。

そんな劇的な出来事でなくとも、きれいな夕焼けを見た日だとか、良書を読んだときだとか、こっぴどく飲んで財布をなくしたときとか、そんなときにも。微妙に、微妙に人生観は修正されていく。

小さな子どもの例に挙げるとわかりやすいと思うんですけれど、彼らって経験が少ない分、新たな経験が絶大な変化をもたらしたりするわけじゃないですか。「うんこ」って単語をおぼえると一日中「うんこ」と連呼しても飽きないわけですよ。彼にとって「うんこ」という単語は確実にその瞬間の行動を変えた衝撃的な出会いだったわけで、大人からしてみるとくだらないように思えて、実はその後の人生を決定づける重要な「うんこ」だったのかもしれません。うんこうんこ。

思うに、「人生観」ってある一つの出来事で唐突に変わるほど単純ではなく、そもそも「明確なそれ」として存在するものではないんじゃないかと。「人生観」がその人間の行動規範だとすれば、それは膨大な生活歴の蓄積によってでき上がるものだし、ある一つの要因によって大きく変動するほど簡単なものではないと思うのです。

ある人が海外旅行に出かけて人生観が変わったのだとすれば、それは確かに旅自体もファクターのひとつとして働いたのだろうけれど、旅に行く以前の積み重ねが変化をもたらす土壌をすでに作っていたんじゃないかと。そういう積み重ねを無視して、直近の出来事にばかり因果関係を見出そうとするのは短絡に思えます。

だいたいからして、「人生観が変わる」ってよいことばかりではありません。「人生に絶望する」のも人生観の変化ですし、「悪事を平気でやれるようになる」のも人生観の変化です。前者は自殺する人、後者はマルチやブラック企業の幹部によく見られるタイプではないでしょうか。

海外旅行に限らず、「○○で人生が変わった」的な自己啓発をよく見かけますけれど、それって「△△ダイエットでウエスト-30cm」みたいな広告とあんまり変わらんよなあという印象を受けます。人間は明確な答えを求めたがるものですから、そういうインスタントな物言いに惹かれがちなんでしょう。新興宗教のエセ神秘体験にやられてしまう人の思考様式とも近いのやもしれません。

「人生観を変えたい」という人が何を求めているのかイマイチわかりませんけれど、何事も近道や抜け道はなく、ただ王道があるだけかと存じますので、一足飛びにゴールに辿り着こうなんて怠け心は捨てて、日々コツコツと努力を重ねるのが正しくあるべき姿であるんだろうと考える次第です。

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3 thoughts on “世界を旅しなくても人生観はどんどん変わるし、コツコツ変えていくものなんじゃないかな

  1. こんちわ!ブログ記事紹介いただいたICHIROです!ありがとうございます!
    おっしゃるとおりかと思います。記事の最初にも書いているように、この種の議論は、どちらが正しいかということはなく、どちらも真実だと思うのです。反対に、ぼくがあの記事をどこかで読んだら、反論を書きたくなったかもしれません。人生観が変わる、変わらないも、結局、程度問題ですし、あんまり意味のない議論と思います。でも、なぜあの記事を書いたかというと、「世界旅行をしたって無駄だ」という主張が再三目につくので、そのカウンター意見として書いたのです。僕の家はびんぼーでしたが、大学に行かせてもらえましたし、僕がその気になれば、海外へヒッチハイクに出ることはできたのですが、若い僕には、その勇気がなかったんです。だから、「意味が無い」というまえに、若いうちに、ちょっと無理して行けるんなら、「行ってみた法が良い」ってことがいいたいんです。もちろん、岡崎さんがおっしゃるように、人間の成長の機会は無数にあり、「海外へ行くこと」などは、単にそのうちのひとつの手段にしかすぎず、「海外へいく」ことが成長の必須などとは思いません。たぶん、まだまだ、言葉足らずですが、そんな気持ちで書いた記事です。多数の、ネガティブなコメントももらいましたが、ある程度予想していたことでした。そんななか、岡崎さんが、冷静に記事を書いてくださって、嬉しかったです。こうして、ちょっとだけ、僕の思いを書くことができたので。ありがとうございました!

    • コメントありがとうございます。

      > 人間の成長の機会は無数にあり、「海外へ行くこと」などは、単にそのうちのひとつの手段にしかすぎず

      然り、です。

      元記事で「Outrospection」という概念を引いておられますが、サルトルの唱えたアンガージュマンに近しい言葉かなと。人間は生きているだけで必ず社会に参加をしており、あらゆる行動が実は世界に影響を与えとるんだから、それを肝に銘じて己を律して生きなければならんでーって考え方なんですが。

      残念ながら、私はそんな境地にたどり着いておりませんけれど、そういう心構えでいれば、日常非日常を問わずあらゆるものが教師になると思いますです。

  2. 人生観は知りませんが自分以外の価値観の存在の認識とその受容に関しては確実に影響あるかと思われます。価値観の多様性を認識すれば場合によっては人生観は変わるのかもしれません。
    特に外国人女性と性愛関係になると価値観と価値観のぶつかり合いになりますので結果としていままでのものの見方では解決できない問題が出てきやすいかと思われます。

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