ビジョン、目標管理、人事評価


春を愛する人は心清き人。心清くない私はこの季節が嫌いです。

いや、桜だとか、芽吹くツクシだとか、暖かくなる空気だとか、そういう自然現象としての春は好きなのですよ。花見酒もツクシのおひたしも、あと寒いのが超苦手なので冬が終わるのは本当にうれしい。

でもですねえ、サラリーマンをやっているとどうにも嫌いでたまらないものがありまして。それが人事評価というやつです。

嫌いな理由ですが、いままでは2つありました。

ひとつは自分の成果や有能さをプレゼンしなくてはいけないこと。アメリカさんなどの文化になれた人にはなんてこともないと思うのですけれど、私のようなどっぷり日本人にはそんなもの気持ち悪いし恥ずかしいわけです。謙遜とは美徳ではなかったのかと、小学校の先生あたりに詰め寄りたくなるわけですね。

ふたつめは面談とかに費やしている時間は何も生み出していないこと。大のおとなが顔を突き合わせて口角泡を飛ばしあっているのに、そこでは1円の価値も発生していないわけです。なんですかこの茶番は。学芸会の出し物の練習をしていた方がずっとマシというものでしょう。

そんなわけでこれまでは、人事評価の折には上司の判断を全面的に受け入れて1秒でも早くこの苦行を終わらせることを優先してきたんですが、困ったことに今年はこれにもうひとつ嫌なことが加わってしまいました。

部下の人事評価をせねばならぬのです。

人間が人間を評価するとか、ましてや私のような下衆が人様に点数をつけるとかおこがましくってしょうがありません。いっそサイコロでも振って決めちまえばいいのかなとか魔が差すわけですけれども、もちろんそんなわけにもいかず。ああ、もう憂鬱で憂鬱でしかたがない。

個人的に、人事評価で大切なのは本人の納得感と、社内の第三者が見たときの公平感だと思っています。前者は本人のモチベーションに直結しますし、後者は「あいつはおれより仕事ができないクセに、上司に取り入って高い評価を得ている」みたいな不満を呼ぶわけです。そのうえ、誰もが納得のいく制度は作りようもなく、原則的に人事評価というものは組織におけるモチベーションの総和を下げる方向にしか働かない必要悪みたいなものなわけであります。

そんな風に考えると、年功序列というのは人事評価にかかる工数を最小限にできるという意味においてなかなか効率的な制度だったのかもしれないなあとか。

あれこれ悩んでいたときに、ちょうどこんな記事を読みました。

ビジョンを部下と共有することはできないという前提で考える(UEI shi3zの日記)

株式会社ユビキタスエンターテインメントというモバイル向けのアプリ制作や、コンテンツ開発システムの開発・販売を行っている会社の社長さんのブログです。なんかエンジニア的にはすごいかんじの会社さんらしいのですが、非エンジニアである私はこれまで存じ上げておりませんでした。申し訳ありません。

ペーソスをたっぷり含んだエントリで、ニュアンスが失われてしまうのを承知で要約しますと、「社長の私が抱いているビジョンを100%理解している社員はいないし、そういうものだと諦めている。でも、独自の解釈をして仕事に打ち込んでくれる社員がいるのはうれしい」といった趣旨の記事です。良記事なのでぜひ元エントリを読んでいただきたいところ。

弊社ネクストもご多分に漏れず、「ビジョン経営」を掲げており、創業者である井上の想いを末端社員まで浸透させようとアレコレ試みております。弊社の経営理念等については会社HPをご覧いただければと。

いろいろと書かれてはいるんですが、いち中途社員として気に入っているのは経営理念の「利他主義」というやつでして、近江商人のいう「売手よし、買手よし、世間よし」の「三方よし」の商売哲学のようなものかなあと勝手に解釈しております。

でもたぶん、この解釈もちょっと違うんだろうなあと。結局のところ、人間が他者を100%理解できるなんてことはありえないわけで、そうである以上は他人の脳みそからひねり出された理念を完全に会得することなど土台不可能な話なわけでございます。

そういう諦観を抱いている私ではありますが、ビジョンとはなかなか優れたマネジメントツールであるとも考えておりまして、とくに策定過程にメンバーが関与する場合、その過程そのものが目的意識をある方向にすり合わせるために有効だったりします。

企業とは「ある目的を達成するための人間の集合・組織」でありますので、参加するメンバーの意識の方向がある程度そろっていることは非常に重要なんですね。

話を人事評価に戻しますと、弊社では目標管理を用いた人事評価を行っています。どんなものかというと、すごく簡単にいえば「期首に目標を宣言し、期末にその達成度を測って評価とする」という制度です。期中に調整とかはもちろん入るんですけれども。過去に経験した2社もおんなじような制度を取り入れていたので、わりと一般的なやり方なんじゃないでしょうか。

これには、納得感や公平感を担保するとともに、ビジョン経営と同じく本人の経営目標に対するコミットメントを上げようという狙いがあると思うのですが、どうも私には目標管理と人事評価を直接リンクさせるのは具合が悪いように思えるんですよねえ。

そういえば前にそんな記事を読んだ記憶があるな、と調べたらやっぱりありました。リンク先はいずれもダイヤモンドで、「個人、チーム、組織を伸ばす 目標管理の教科書」という全4回の連載記事です。ときどき「もしドラ」に触れられるあたりは少々なえるのですが、読み応えのある良連載です。

第1回:目標管理は、なぜ嫌われるのか?
第2回:本当の目標管理はドラッカーのMBO-S
第3回:目標管理は理想論なのか?
第4回:メンバーの能力を最大限引きだすリーダーの条件

目標管理と人事評価制度をリンクさせる弊害は、第2回の5ページ目で喝破されています。

人事評価を恐怖心に働きかけるマネジメントの仕組みと捉えている人たちは、目標設定でも消極的な態度を取ります。
できるだけ達成しやすい目標で、達成度を稼ごうとするのです。

そうと見破られないように、易しい目標を難しく見せる技術も覚えます。営業は隠し玉を用意するし、間接部門は目標の難易度の誇張合戦を展開します。

これはもう、みんなが易しい目標を作って会社を潰しかねない状態です。

組織の目標達成のために深いコミットメントをしてもらい、従業員のモチベーションを保つ仕組みが目標管理であると私は理解しているのですが、それを人事評価と直結させてしまうと「浅いコミットメントのほうが得」というまったく反対の方向にインセンティブが働いてしまうんですよね。本来、目標管理と人事評価は水と油の関係なような気がするのですが、なんでこれが多くの日本企業で根付いてしまったのかまったく理解に苦しみます。

「いやいや、高すぎる目標を設定しようとしたときは、上司が適切なレベルに調整しなくちゃ」

という声もあるとは思うんですが、せっかく高い目標を掲げてがんばってくれようとしている人に水を差したら目標管理の意味がないじゃないですか。

もちろん、私も子どもじゃないのでもろもろの大人の事情を勘案した上で、部下の書面に残す「目標」はなるべく適切なレベルに修正するんですけどね。でも裏では「ここまでやったろうぜ!」みたいな隠れた握りをしていたり、あれもうそれって制度が形骸化してるやんけ、みたいな。

すでに書いておりますが、万人が納得できる一律的な人事評価制度なんてありえないんで、どうにもならないことに対する愚痴にすぎないんですけどね。なんかもっとこうスマートなやり方はないものかなあと悩む日々であります。

あ、本記事はあくまで私見です。所属企業を代表するものではありませんのであしからず。

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