軽犯罪法第1条4号(短編小説)


もう9月。そろそろ蝉の声も静かになってきた。青空には入道雲が沸き立っているけれど、朝の日差しはだいぶ手加減されていて、過ぎ去る夏を感じさせてくれる。

そんな穏やかな初秋の空気を金切り声が引き裂いた。

「ちょっと! “アレ”どうにかしてよ!」

涼しくなってきた気温とは反対にヒートアップしたおばさんが指差す先には、擦り切れたスーツを着た初老の男性が立っていた。男性は大きなスポーツバッグを抱えて、所在無げに入道雲を眺めていた。

「子どもたちに何かあったらどうするのよ?!」

男が立っているのは通学路だ。男の脇を列をなした小学生が騒ぎながら通り過ぎていく。ここ何週間ですっかり見慣れた風景だ。はじめのうちは警戒していた子どもたちも、いまでは男に軽い挨拶を交わしていく。子どもたちに声を掛けられると、男は真っ黒い顔に強張った笑顔を貼り付けて、小声で挨拶を返すのだった。

ぼくも最初の数日は注意して様子を伺っていたけれど、不審な様子はまったくない。なにより、男にはいわゆる「犯罪者」がまとう粘ついた雰囲気がない。先輩や上司に尋ねても「ありゃ無害だからほっとけ」と軽く流されるだけだった。

「ほら、あの子どもたちを見る目付き。何を考えているのかわからないわ」

ちょうど男が不器用な笑顔で子どもたちに挨拶を返しているところだった。それはむしろ気後れしているようで、危険な様子は微塵もない。といっても、ぼくみたいな仕事じゃなきゃそういうちょっとした機微には気がつけないとも思う。

そう、ぼくは警察官だ。

通学路の途中にある交番に赴任してそろそろ2年。地方公務員試験に合格してから3番目の派出所だ。ドラマに出るようなエリートとは違う万年ヒラ警官だけれど、それなりに捕物の数はこなしてる。いまのご時勢で「刑事の勘」なんていうと顰蹙だけれど、少なくともこれから犯罪をする人間かどうかはなんとなくわかるようになったと自負してる。

だから、あの男性は放っておいていいと思うのだけれど、「善良な市民の声」を公僕が無視するわけにもいかない。半ば日課になりかけている職務質問未満の声掛けをはじめよう。

「えーと、あの、おはようございます」

「あ、おはようございます」

おずおずと答える男に、こっちが申し訳ない気持ちになってしまう。

「あの、ここで何をされてるんでしょうか?」

「ちょっと、その、散歩の途中で」

普段ならここで、「そうですか」と話題を打ち切る。男もぼくが声をかけたらすぐにどこかへ退散していたし。

だけど、今朝はそういうわけにはいかなかった。いつもはぼくが男性に向かって歩きはじめると家に帰るおばさんが、いつまでもこっちをにらみつけているから。どうもぼくは不審者ひとり追い払えない、無駄に税金を食いつぶすロクデナシだと思われているらしい。

「散歩って言いますけど、帰るところはあるんですか? ちょっと住所を教えてもらえますかね」

職業柄身についた嫌らしい尋ね方だ。咄嗟にこういう台詞が出るのは、ぼくも職業警官が板についてきたってことなんだろうか。

男はうつむいてじっと固まってしまった。わかってる。この人に帰る家なんてない。住所なんて答えられるはずがない。

「ちょっと、お話し聞いてもいいですかね」

派出所を指差す。腕をつかんだりはしない……というか、体に触れると警察権の濫用とやらになるらしい。相手が現行犯でもない限りは決して警察官から一般市民に接触してはいけないのだ。研修で何度も叩き込まれたことだけれど、そのたびに自分が不可触民にでもなったような気持ちになる。ぼくがなりたかった「警察官」はみんなに羨望を浴びるヒーローだったはずなのに。

まあ、これを断って逃げ出したときは引きずってでも連れて行くのだから、最初から腕を引っ張っても変わらない気はするんだけど。

もともと小さく見えた男は、派出所のパイプ椅子に座るといっそう縮こまって見えた。

ぼくの対応に満足したおばさんが帰ったのを確認してから、言葉をかける。

「すみませんね、最近、こういうのに敏感だから」

こういうのって何だろう? 自分で言っておいてよくわからない。

「いや、はい、すみません。よくないとは思っていたんです……」

男は申し訳なさそうに話す。別にそんな謝罪は期待していないのに。

名前を聞いた後、住所を尋ねると男は口ごもる。

「ご自宅はないんですか?」

「はい……」

調書に「住所不定」と書き殴る。そんなことは知っていた。

「お仕事は?」

「空き缶を拾ったり、あと、たまに日雇いの口があれば……」

それも想像通りだ。わざわざ聞かなきゃいけないことなんてない。弱いものいじめをしているようで、「警察権の濫用」って大書きにされた研修のスライドが頭をよぎる。

「ご飯はちゃんと食べてます?」

ずっとうつむいていた男が顔を上げた。「なぜそんなことを聞くのか」とでも言いたげだ。

「……ときどき、炊き出しなどがあるので」

「でも、炊き出しやってたのって1週間くらい前でしょ。カツ丼はないけど、カップラーメンでよければありますよ」

夜食用に買い込んであるインスタント麵を2つほど男が平らげて、それから身の上話をいろいろ聞いた。事業に失敗して借金を抱えたこと、その借金を引き受けて妻子と離婚したこと、そのお子さんがいまでは小学生くらいのこと、とか。

一通り話し終えると男は眠たくなったようで、まばたきの回数がやたらに増えた。仮眠室に通してあげると泥のように眠りについた。きちんとした寝床で眠ったのはどれくらいぶりなんだろう。

男が眠っている間に昇進試験のときくらいにしか開かない刑法の参考書を開く。ああ、これならなんとかなりそうだ、と本を閉じたときに仮眠室から男が起き出してきた。

「ちょっと逮捕してもいいですか?」

「は?」

ぽかんと口を開けた男の腕に、ぼくは手錠をかけた。

カシンという金属音は思いのほか静かで、だいぶ小さくなった蝉時雨にも、あっさりとかき消された。

* * *

『国家権力の横暴を許すな!』

『ロクデナシの公僕に税金を与えるな!』

『警察権の濫用!!』

そんなことが書かれたプラカードを掲げた群集に派出所が囲まれている。

上司や先輩はその対応にてんてこまいだ。当事者のぼくは派出所の奥にしまいこまれて表に出させてもらえない。

それならいっそ謹慎なり停職なりしてくれた方がわかりやすいんだけど、警察のメンツってやつがそうさせてくれないらしい。

ぼくが先週やった「軽犯罪法第1条4号.生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」違反での逮捕というのが随分と世間を騒がせてしまったようだ。

夕方のニュースに取り上げられた途端、やたらに身なりのいい「ホームレス人権団体」の人たちとマスコミがこの派出所に押し寄せてきた。窓から伺う限り、擦り切れたスーツを着た人はひとりもいない。

そうそう、ぼくが逮捕したあの男性だけれど、留置場にいる間に知り合いの工場の社長に紹介したら、住み込みで採用してもらえた。逮捕したぼくがいうのもなんだけれど、「少なくとも犯罪を犯すような人じゃありません。人柄は保障します」って推薦したのが効いたらしい。

決していい給料じゃないけど、節約してお金をためたら、また一旗上げて奥さんと子どもを迎えに行くんだって張り切ってた。しがない公務員暮らしが板についてしまったぼくにはそれがまぶしかった。

目張りされた窓から外を覗くたびに瞬くフラッシュを浴びると、なぜだか子どものころにあこがれたあのヒーローにちょっとだけ近づけた気がした。

フラッシュに驚いたのか、窓枠にとまっていたトンボが一匹、入道雲に向かって飛んでいった。

* * *

【奈良】 働く能力がありながら仕事もせず一定の住居を持たないでうろついてた男を現行犯逮捕」という記事にインスパイアされて書いた。

ってツイートしたけど、どちらかっていうと、こち亀に出てくる脇役っぽい人の好い主人公。イメージは肝の据わった寺井。

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