ハードパンチャー斉藤先生 体罰学園熱闘編(短編小説)


「愛なき拳はただの凶器! 貴様の腐った性根をたたっ斬る!」

そう叫んで、島津は竹刀をゆっくりと上段に構えた。薩摩示現流トンボの構えだ。

一方の斉藤は、相変わらずぼんやりとした表情で両腕をぶら下げたまま構えすらしない。

暫しの間。

二人が対峙する廊下がぐにゃりとゆがんで見える。

どうしてこんなことになったのか。教頭は痛む頬をさすりながら、つい先ほどの光景を思い出していた。

* * *

「いったい何のつもりですか! 仮にも教職にある者が、生徒を殴り飛ばしただなんて冗談じゃありませんよ!」

放課後の職員室。教頭は数学教諭の斉藤を呼びつけ、怒鳴りつけていた。

生徒の保護者から、「うちの子が殴られた」とクレームが入ったのだ。体罰に敏感なこのご時勢、それが本当であればただ事では済まない。いや、問題は「もし本当なら」どころではなく、複数の生徒の証言もある「疑いようもない事実」であることなのだ。誰にも見られていないのであれば、一生徒の戯言として握りつぶしようもある。だが、他の生徒の面前で体罰が行われれば、もはや言い訳のしようもない。

つまり、すでに抜き差しならない状況であるのは明白で、教頭は大事になる前に事態を鎮静しようと、斉藤を辞職に追い込むべく呼び出していたのである。

「とにかく、体罰は絶対に許されないことです。斉藤先生もしかるべき身の振り方を考えておいてください」

“身の振り方”が具体的に何を指すかまで言葉にする必要はないだろう。お互いに大人なのだ。言わずともわかることがある。

「……せん」

ずっと黙っていた斉藤が答えた。

「ん?」

「……はしていません」

教頭は耳を疑った。こいつは何を言っているんだ? 複数の生徒に目撃されているのに、そんな子どもじみた言い逃れが通じると思うのか?

「私は、体罰はしていません」

今度は聞き間違いようもなかった。斉藤は体罰をしていないと主張している。教頭は激昂した。

「何人もの生徒が君が生徒を殴った瞬間を目撃しているんだよ! 殴られた生徒は診断証明書も取っている。君は何かね、それがすべて誤解や勘違いだとでもいうつもりなのか?!」

「いえ、違います」

教頭とは対照的に、斉藤は淡々と続けた。

「体罰ではなく、ただ殴っただけです」

「よけいにダメじゃないかっ!!」

指導に熱が入るあまりつい手が出てしまったというならまだ世間の理解が得られる。それを「ただ殴った」とはこいつは何を言っているのか。あまりの衝撃に教頭は言葉を失った。なんとか次の言葉を続けようとしたときだった。

「先生は悪くないんですっ!」

職員室のドアを開いてひとりの生徒がやってきた。長い黒髪を後ろで三つ編みにしたいかにも大人しそうな女子生徒だ。

「先生は、私を助けようとしてくれただけなんです…」

「ど、どういうことだ?!」

瞳を潤ませて訴える女子生徒に思わずたじろいだ。

「先生は、大山田君たちに乱暴されそうになった私を助けようとして……」

それはどういうことなのか、生徒を助けようとして暴力を振るったのならまだ言い訳も立つ。教頭は斉藤をの方に視線を向けた。

その刹那、斉藤の拳がぶれて消えた。

「ぶべらっ」

女子生徒が吹っ飛ばされる。

斉藤は右ストレートを振り抜いた姿勢のまま固まっていた。

「きっ、きさまぁ!!」

教頭が斉藤に掴みかかろうとするのを、あろうことか女子生徒が後ろから抱きついて止めた。

「違うんです、違うんですっ!」

女子生徒は涙をはらはらとこぼしながら訴える。

「斉藤先生は、私にもっと強くなれと言いたいんですよね! いじめなんかに負けない強い自分にならなきゃいけないと、私の将来を案じてあえて私を殴ったんですね! ……わかりました。私、もっと強くなります!」

制服の袖で涙を拭き去ると、女子生徒は職員室から駆け去ろうとした。しかし、出口に差し掛かったところで何かにぶつかり、「キャッ」と短い悲鳴を上げて床に倒れこむ。

「おうおう、役者がそろってるじゃねえか」

ぬぅっと現れた巨体は、件の大山田だ。ほおに貼られた大きな湿布が痛々しい。女子生徒がぶつかったのは、廊下から職員室に入ろうとした彼の巨体だったのだ。

女子生徒がおびえて職員室の奥に逃げ去り、斉藤の後ろに隠れる。

大山田の背後からはぞろぞろと男たちが続いてくる。5人、10人、数はどんどん増えるが、廊下は死角になって見えない。いったい何十人いるのか。

男たちは手に手に金属バットやチェーンを持って武装している。制服は着崩して、髪は金髪やモヒカン、シンナーで歯が溶けた者もいる。典型的な不良集団だ。

「斉藤! よくもやってくれたよな。体罰でクビになるのは当然だが、それだけじゃおれの気が晴れねえ。ぼろ雑巾になるまでボコって余生をベッドで過ごさせてやるぜ!!」

凶器を携えた不良たちが一斉に斉藤に襲い掛かる。

教頭は短い悲鳴を上げ、デスクの下に身を隠した。

花瓶の砕ける音、窓ガラスの割れる音、肉がつぶれひしゃげる低い音、骨が折れる乾いた音が教頭の耳を苛んだ。

しばらくの間。

沈黙。

教頭は恐る恐るデスクから這い出て周囲を見渡した。血みどろでうずくまる斉藤の姿を想像しながら。

だが、教頭が目にしたのは想像とはまるで違う光景だった。

「嘘だろ……」

斉藤は着衣を乱した様子すらなく、平然と立ち続けていたのだ。

代わりに倒れていたのは不良たちだった。壁にさかさまに叩きつけられた者、窓ガラスを破って半身を外に出した者、上半身を天井に突き刺した者……そして、斉藤の目の前には床にうずくまった大山田がいた。

「さすがだよな……先生」

大山田が巨体を震わせながらうめく。

「おれだって、こんな馬鹿をいつまでもやってちゃいけないって思ってたんだ。でも、県内喧嘩最強とか祭り上げられて、気がついたら暴走族のリーダーになってて、気がついたらもう後戻りできなくなっていたんだ……。お前に殴られて、やっと目が覚めたよ。本当の強さってそんなことじゃないんだな。斉藤……おれもいまから勉強したら、お前みたいな教師になれるかなあ……」

斉藤はにっこりと微笑んだ。次の瞬間。

「ほげぇっ」

大山田の巨体が宙を舞う。

「君は何をやっているんだぁ!」

見事に右ストレートを振り抜いた姿勢のまま固まっていた斉藤に、教頭が食ってかかる。その教頭を、背後から引き止めるものがいた。

大山田だ。

「野暮はやめてくれよ……教頭。斉藤は、斉藤先生は、こんなおれにも真っ直ぐに向き合ってくれたんだ。おれはもう、卑怯者にはなりたくないんだよ……」

顎が割れているのか、歯が折れているのか、血の泡を吹きながら語る大山田は鬼気迫っていた。教頭にはもはや事態が飲み込めない。助けを求めるように斉藤の方を見る。

その視界は、高速で迫る拳が覆っていた。

「ぽぎゃぁっ」

抱きついていた大山田ごと教頭が吹き飛ばされる。数学教師、斉藤の細身のどこにこんなパワーがあるのだろうか。

「なん、なんだ……?」

教頭は異常な事態と脳震盪でゆさぶられた思考のまま、さきほどの問いを繰り返した。

斉藤は答えた。

「殴りたかったので殴っただけです」

意味がわからない。再び殴り飛ばされたような衝撃が教頭の脳を襲っていた。気が遠くなる。しかしそのとき、失いかけた教頭の意識を呼び起こす声がした。

──それでも貴様は教師かぁ!

廊下の方からだ。騒ぎを聞きつけた他の教師がやってきたのだろうか。斉藤が廊下に向かって歩いていく。教頭も力の入らない四肢で身体を引きずり、教員室から廊下に出た。

職員室を出てすぐのところに斉藤、10メートルほど離れて剣道部顧問の島津が立っている。面も胴も剣道の防具で固めていた。完全武装だ。

島津は素行の悪い生徒を容赦なく竹刀で叩く厳しい指導で知られている。校外には彼の指導方針を暴力的だと批判する者もいるが、OBには慕う者も多い。

彼が赴任して以来、剣道部は劇的に強くなり、いまや全国大会の常連校にまで育て上げられた。そのおかげでスポーツ特待や推薦で進学した者も多いのだから、当然だろう。

「愛なき拳はただの凶器! 貴様の腐った性根をたたっ斬る!」

そう叫んで、島津は竹刀をゆっくりと上段に構えた。薩摩示現流トンボの構えだ。

一方の斉藤は、相変わらずぼんやりとした表情で両腕をぶら下げたまま構えすらしない。

暫しの間。

二人が対峙する廊下がぐにゃりとゆがんで見える。

「ちぇーすとぉぉぉーー!!」

裂帛の気合と共に島津が駆け出し、間合いを一気に詰める。交差。すれ違いざまに振り下ろされた竹刀は教頭の目では視認できない。

ゆっくりと振り返る島津。一方、身じろぎひとつしない斉藤。これは勝負あったか……。

「ごふっ」

島津の口から血があふれ出し、膝からゆっくりと崩れ落ちる。その瞬間、教頭は見ていた。島津の防具に拳型の陥没があることを。斉藤は、素手であの鎧を断ち割っていたのか。

──島津がやられたようだな……。

──フフフ……やつは四天王の中でも最弱……。

──数学教師ごときにやられるとは四天王の面汚しよ……。

「あ、あれは!」

教頭が驚きのあまり叫ぶ。

元オリンピック代表の柔道顧問、甲子園常連の野球部顧問、金メダリストを教え子に持つ水泳部顧問。いずれも教頭程度では目を合わせることもかなわない伝説の教師たちだったのだ。

斉藤と伝説の教師たちの戦いがついに幕を上げた。勝利の女神はいずれに微笑むのか。その答えはまだ誰も知らない。

(了)

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