アンタの親父はもう働かなくていい


無職の父と、田舎の未来について。」というエントリを読んで考えたこと。

問いがあったのでそれに答えたいと思う。

1.向上心があまりなく、身体が丈夫でなく、コミュニケーションが取りにくい人間に、できる仕事はあるか。

高給な仕事はない。薄給でよいなら内職的な仕事がある。

2.そういった仕事を、人口100万以上の都市まで車で4時間かかるような、田舎に作ることはできるか。

同上。

3.そういった仕事に限らず、都会から田舎に仕事を流すことはできるか。

内職なら田舎でもできる。

とまあ大変に実も蓋もない回答になってしまった。

つーかですね、貴方の親父様はもう働かなくて結構です。

うつ病気味で記憶障害のある高齢者なんて、ひどく冷たい言い方だけれど、たいがいの職場において役立たずなので。

いや、役立たずどころか、むしろ足を引っ張る存在にしかなりません。いない方がマシ。

こういうことを書くとレイシスト扱いされそうであれなのですけれど、高齢者も障害者も「生産性」って公平な視線で見るなら当然の判断なわけで、「高齢者や障害者は弱者だから、特別枠で仕事をあげなきゃかわいそう」なんて主張する人の方がよっぽど差別主義的にぼくには見えるのですよ。

もっと言ってしまえば、そもそもですね、いつの間に労働ってのはそんなに尊いことになったんですか。

働けなかったら生きてちゃいけないんでしょうか?

働ける人が相応に働きつつ、それができない人を「あー、見捨てるわけにはいかねーなあ」と助けようという気持ちを制度化したのが社会福祉なんじゃないですかね。

労働して、生産性に寄与できるか否かは生存権の有無にまったく関係がないわけですよ。

筆者のお父さんについて言えば、あと数年もすれば働きに出る大卒の息子さんという立派な社会資産を育てたんですから、ぼちぼち御役御免でよろしいじゃないでしょうか。

もう十分にがんばった人なんですよ。

なんでそんな人を無理やりに仕事を作ってまで働かせなきゃあいかんのですか。

そんな考え方こそが虐待的で、奴隷的で、極めて資本主義的だなあと思うんですが、いかがなもんでしょう。

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