「理想から逆算して実現の手立てを考えようよ」なんて少子化の話題を追っていて思った


少子化の話題がなんか盛り上がっています。

人口減少対策 「出生率2.0」実現に総力を(産経ニュース)
日本の出生率を上げようよ、平たく言うと子供生もうよ(Yahoo!トピックス/山本 一郎)
子供が増えるとか減るとかの話(24時間残念営業)
ワーキングマザーの間では「小学一年生の壁」というのがあるらしい (Kousyoublog)

なんかあっちこっちに話題が飛び火していて一言でまとめるのは難しいです。経済成長という観点では人口が減るのは悪なわけですが、そもそも人間が子を成すのは無条件に善なのかとか考え出すとキリがない。先進国で少子化が問題視される一方で、地球規模では人口爆発が懸念されたりするわけで、なんかもう手に余る問題だなあと。

ただ、記事への反応を眺めていてげんなりしたのは、「この問題はこんなに難しいのだから、これこれの理由でできない」という感じのコメントが目につくこと。そりゃ解決せずに何十年もくすぶっている問題なんだから難しいのはわかってますけど、「できない」ことを殊更に強調して何の意味があるんでしょうか。

以前、このブログで書いた記事にも似たような反響が寄せられたことを思い出しました。

ロボットが人間の仕事を奪って何が悪い。失業“問題”という思い込み

難しい問題に対して「できない」と言い放つのはすげー簡単です。不可能なことであると規定してしまえば、問題解決の努力なんて一切しなくていいわけですし、あとなんか自分を賢そうに見せることもできる。何もしなければ失敗もしないわけで、自分が傷つく心配もない。そういう批評はじつに気持ちがよさそうですな。

なんでしょうねこれ、なんか非常にいらだたしい精神性です。

コストに見合わないから「やらない」という「判断」なら責任が伴うからいいんですけどね。「できない」と決めつけるのはただの思考放棄なんじゃないでしょうか。あるいは、そんなに悲観的な未来の実現を望んでいるんでしょうか。面白くないことがあったら、「明日、隕石が落ちて人類が滅びねえかな」とか考えている小学生の精神性でしょう、そんなのは。

どんな状態が理想かは人によって異なるでしょうが、「理想の状態」そのものを否定したって得るものは何にもありません。そりゃ理想をそのまま実現するのはほとんどの場合で困難です。でも、頭ごなしに否定するよりも、「いまよりもマシな状態」を目指して手立てを考えた方がずっと建設的だと思うんですがねえ。どうなんでしょ。

少子化の問題については、私自身がそんなに恵まれた家庭に生まれた気がしないので、貧乏人も含めて安心して子どもが作れる状態を作ったらいいんじゃねえかなと思っております。またしても過去記事の紹介になりますが、公的機関で育児をすべて受け持ってしまうという発想はアリなんじゃないかなと。

スパルタ式教育で相続税100%が実現でき、格差固定も少子化も解消できる

かつてアメリカさんが似たようなアプローチで失敗したらしいんですが、なんかもっと上手くやりようもあるでしょうし。そのときの失敗の要因は、子どもをブロイラーみたいな環境で育てようとして、精神的に具合が悪くなっちゃったとかそんなんだった気がします。何かで読んだ記憶があるのだけれど、ググってもソースが見つからない。幼児期の母親の愛情がいかに重要か、みたいな論拠としてよく使われていたような。

タイトルに戻りますと、「できない理由」を並べ立てるのはまったく意味がありません。それこそチラシの裏にでも書いていて欲しい話。だいたい、「できない」と主張している人たちだって、その状態が理想であることは認めているわけじゃないですか。夢に燃える若者に対し、「現実はそんなに甘くない」って居酒屋で説教を垂れているおっさんと変わらないですよ、それ。何かしら理想の状態があるのなら、実現するための方策とそれぞれのコストについて論じた方がずっと有意義でしょう。

そんなわけで、私自身はどうやったら南沢奈央と結婚できるのか日々真剣に悩んでおります。

follow us in feedly

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です